ここの所、日ごとに父の体力は奪われていく気がする。気がするというのは、事実は体力が次第に減っているのだがそれを認めたくない。自分の気のせいにしたい。体重の減少がこの所激しくて「体重の減少は寿命の減少」という言葉を思い出す。父も体重は気にしていて「頑張ってメシを食うと体重が増える」と頑張る気力を私に見せる。これは急に2キロ程体重が落ちた時の言葉だが、さらに2キロ落ちたときには「体重が又減った」としか言わなかった。頑張る気力より心配の方が大きいのだろう。恭平も最期の1週間では体重の減少が著しかった。一時期は「デブ」と私に言われる程だったのに、病気になり痩せていくのを見ることはとても怖かった。その痩せる恐怖は父にもやってくるのだろうか?そんな事を考えると心配は心配を呼び、発病から今までの間で一番弱気になっている。今までのように「良くなったら・・・」とか「退院したら・・・」という言葉も出なくなっていた。もちろん父のことをあきらめたわけでもないし、直らないからと放り投げたわけでもない。しかし、恭平の「死」という事実が今の私をすごく弱気にする。
恭平が亡くなってから初めて父に会ったとき「一生懸命に恭平の面倒を見てやったらしいな」と私に一言だけ言った。私にとって恭平は大切であると知っている父の精一杯の言葉だった。そして元気の無い私に「用が済んだら帰ったらどうだ?」と言う。「自分は大丈夫だし、特に用も無い」と付け加えたその言葉は、私を心配する不器用な言葉だった。父も辛い。恭平を亡くして落ち込んでいる私に看病をされるのは父も辛い。それに気がつき「恭平は頑張ったよ。だから同じように頑張らないと」と父に言った。「判っておる」としっかりとした表情で答えた。私が弱気になったら父も弱気になる。それではいけない。明日は明るく過ごそうと思う。
この時の父の会話と、父の表情、そして最期まで頑張った恭平の姿を思い出し、弱気な自分を払いのけ、明日は明るい笑顔で父の元へ行こう。
同室者のメンバーが入れ替わったこの頃、父は病院の中でストレスを感じるようになった。今までは抗がん剤での副作用に苦しむ患者さんはいなかった。そのためにおしゃべりで時間をつぶす事が多かったようだが、今はメンバーの内のお2人が副作用に苦しんでいる。そのため部屋の空気は重く感じるらしい。そのため体調が悪くない日は、昼間の間だけ自宅に戻る事にした。本当は外泊をしてもいいのだが父は外泊をすると、もしも何か急変したらという不安を持っているために、夜は病院で寝たいと言う。
土曜日の昼間を選んで自宅に戻った。ジュディーとさくらと一緒に病院に迎えに行ったのだが、恐ろしい勢いで父を歓迎した。車の中では父から離れずずっと父の横にいた。父もジュディーとさくらと一緒になって喜んだ。しかし車に揺られたのが良くなかったのか自宅に戻るとすぐに嘔吐した。血液が混じっている。やはり癌は父の体を蝕んでいると思うといたたまれない気持ちになる。しかし、助けたのは愛犬たちだった。自宅で嘔吐した父を見て愛犬たちは少し驚いた様子を見せ、その後はあまり大げさな態度は取らないで大人しく父を見守っている。しかし父はそんな愛犬たちに笑顔で接し、愛犬たちより父の方が喜びが大きいのではないかと思うほどであった。
昼寝をすると言い、ソファで横になると2時間ほど眠っていた。少しの移動は父をここまで疲れさせるのだろうか?しかし残りの2時間は病院にいるときより動きは軽快でこのまま退院してもいいのではないかと思わせる。父に「退院して家に戻ろうか」と薦めると「病院の方が安心できる」という。悲しい返事でもあったが、今は父の望むことに忠実であることのほうがいいのだろう。
一日おいて又自宅へ戻ってきた。同じように愛犬と一緒に昼寝をし、べったりひっついている愛犬たちと笑顔で過ごした。病院の帰りには買い物へ立ち寄り、平和な時間を過ごした。そしてもう少しこういう状態が続くと思っていた。
看護師さんたちも自宅で一泊してきたらどうかと薦めてくれたが父は夜は病院で寝たいという。この日どう見ても体調は良く無さそうだった。息の匂いが気になりだしたので通過障害をおこしそうであると私は判断をしていた。ならば近いうちに嘔吐をするであろう。その通り、嘔吐をし、それからはしゃべる事も辛そうになってしまった。この時は母が病院に泊まりこんで父の面倒を見た。母は深刻な状態になったと不安をひどく感じたが意外に私は冷静であった。なぜなら黄疸症状もないし、腹水が溜まっている様子も無い。嘔吐の回数もその時だけで増えていくわけでもない。
しかし、翌日父の所へ行くと、「もう死ぬな」と私を見るなり言った。驚いた。それはあまりにしっかりした口調で、確信を持った言い方だったからだ。自分で固い決心をした時にはよく見られる口調だが、こういう否定的なことなのに、あまりにはっきりとした口調に驚いた。私は「どうしたの、急に?」と答えるのが精一杯だった。なんと父が答えたかは覚えていない。
気分を変えるために売店へ行ったけれど、足は震えていた。父は何かを感じたに違いない。父は何かを確信したに違いない。自分がもうじき確実に死を迎えると、確信をしたのだと思った。私はそれを感じ取った自分も怖かった。しかし、父は悲しそうでもなく、怯えている様子も、落ち込んだ様子もない。普段と変らないためか、かえってその父が怖かった。空白の時間が過ぎ、どうやって父と向き合うべきなのか、それはその時の私には、答えの出ない問題だった。
そんな時、以前に入院した時の父の担当の看護師さんに病院の廊下でばったり会った。立ち話をして色々と為になる事を教えてもらった。私の想像したとおり、「今すぐどうにかなるという状態ではないが、これからもっと状態が悪くなっていくだろうから心の準備は必要な時期である」という事だった。これは私にとってはとてもありがたいアドバイスだった。もっとひどい状態になるというのはもう少し前なら素直に聞き入れる事は出来なかったと思う。しかし今の父の状態が最悪だと思っていた場合、もっとひどい状態になったら自分は救いようの無いところまで落ち込み、取り乱す事は間違いない。
恭平の時がそうだった。獣医師が恭平は数ヶ月は無理だが数週間は大丈夫と言った。しかし悪化する恭平の容態に私は混乱し悲しみと恐怖を感じオロオロした。急にぐったりした恭平を2箇所通っていた動物病院のもう一つの方へ連れて行くと「あと2,3日」と言われた。その時に私は獣医師に反抗した。そんなはずは無い。あと数週間は大丈夫と言われている、何らかの処置をするなら又元気になるはずだと。現実が見えなくなっていたのだと思う。しかし病状の説明を聞き「出来る限り一緒にいてあげてください」と言われた時に私は自分がどうにかなる程苦しい思いをした。そして自分を責めた。もしもっと早い時点で「心の準備を」と言われていたら容態が悪化して取り乱す時間を恭平のためだけに使い、「よく頑張ったね」と恭平を抱きしめていたに違いない。
父も11ヶ月に及ぶ闘病生活で心身ともに疲れた。しかし非常に辛い状態になっても頑張ろうとしている。そんな父の容態が悪化したからといって自分が泣き叫ぶ事はしたくない。父が死を確信したからと言って取り乱す事はしたくない。それより今の父が望む事をかなえる努力と、今まで頑張った父にねぎらいの言葉をかけたい。それに父があきらめの気持ちを持とうと、頑張る気持ちになろうと、私はうろたえることは無く、ずっと父と同じ目標に進んでいくだろう。
ホスピスの方は、まだ連絡が来ない。父は個室に移り居心地がよくなったようで、容態も安定してきてホスピスに対して不安を漏らすようになった。治療に対しての不安が一番大きいらしいが、どうやら話を聞くとKK主治医をとても気に入っていて離れたくないようだ。痛みをとってくれたのはもちろん、治療をしないとなっても見放すことなく熱心に父に対応してくれる。私も正直言えば、父が最期の時を迎えるとしたらこのKK主治医に最後まで父の傍にいて欲しいとすら思っているので、父と同様私も先生に対して同じ気持ちを持っていることになる。以前「主治医と相性が言いと、患者はもちろん身内の方も安心できる」と教わった事を思い出して、今更ながら父と私は恵まれた環境で治療を受けていたと感じた。やはり、癌と戦うには、こうした、いい主治医とめぐり合う事は大切だとつくづく感じた。そして病院に対する信頼や看護師さんの対応、それらも同じように大切な事だと思う。N看護師長さんはとても素敵な方で私も何度もこの方には相談に乗っていただいた。適切なアドバイスと温かい心はいつも私を助けてくれた。なんとなく、ガンセンターを離れる事に対して私も少し寂しさを感じ始めたのだろうか?父の言葉を聞いたためだろうか?ガンセンターを離れる日がずっと先であればと願ってしまう。
待つという事は、余り長くない方がいい。気持ちも変わるし、状況も変わる。どちらもいい方へ変わっていくのなら歓迎だが、そうでない場合は厄介な問題も持ち上がる。
11月10日、ホスピスから連絡があり、14日に部屋が空いたという。ホスピスへの引越しが決まった。とうとうという印象が正直なところで、今までガンセンターにいるならひょっとして体調が少しでも戻って治療をする事が出来るかもしれないという、かすかな希望が、治療はしないけれど緩和治療に専念し、父との時間を有意義に過ごしたいという希望に変わっていた。
父は引越しの日、看護師さんや先生と涙を流しお別れをした。今までありがとうと言った父の言葉には感謝の気持ちと長い間お世話になったガンセンターへの未練を感じ、私もこれでお別れになると思うと寂しさがこみ上げてきた。これは、ホスピスへ行かなくてはならないという寂しさではなく、本当に皆さんにはお世話になり、辛い時に助けていただいた、そんなつい今までの出来事が思い出になってしまうという、寂しさだった。
転院すると聞きつけた前の部屋の人たちが父にお別れを言いに来てくれた。父は本当に喜び、新しく出来た自分の友を「頑張ってくれよ。俺は大丈夫だからな」と励まし、そして別れを告げた。
これからホスピスでの新しい生活が始まる。ここでは父が落胆しないようにという期待が大きい。治療をあきらめたから全てを悲観するのではなく、辛い治療はもうしなくてよいのだから、生きている今のこの時間を穏やかに和やかに過ごしたい。 |