私の叔父が父の見舞いのために病室にいた時、主治医から突然呼び出された。抗がん剤が決まったとの事だった。主治医の他に数名見たことの無い医師が同席していた。この先生方は抗がん剤専門の医師(MM医師)と、副作用を専門に診てくれる医師らしい。
そして説明が始まる。 MM医師「正直申し上げて、あなたのようなたちの悪い癌には一般的に使われている抗がん剤では効かない。そこで私達が治験で試している大変いい抗がん剤があるのでそれを使う。とても強い抗がん剤で年齢的にもぎりぎり試せるラインだ。運が悪いと無菌室に入ってもらう。30代の女性に試したが、身内から「試さないよりは良かったのかも」と言われたので効果はまずまずと判断している」と休む間も無く説明した。
そしてその後の会話。
私「その方はどうしておられますか?」
MM医師「残念な結果です」 私「他に抗がん剤はありませんか?」
MM医師「ありません。大体一般的な抗がん剤では効きません」
父「そんなにたちが悪いですか?」
MM医師「今まで見た中では最悪の部類に入ります。」
父「私はあとどれ位…」 MM医師「治療をしなければ7〜8ヶ月。治療をして、余命が1〜2ヶ月伸びます」
父「転移は?」
MM医師「当然あるでしょ?」
父「何人がその薬を使って何人が良い結果を得ているか?つまりデータのようなものを知りたい」
MM医師「○△■×#〜」(明確な数字は出てこなかった)
そしてセカンド・オピニオンを聞きにどこへでも行ってくれて構わない、某ガンセンターでも試している、とも言った。自分の選択に自信があると受け取るのが普通かも知れないけど、私は「どちらにしても半年だから、この薬を試してみてもいいじゃないか?」という印象しか受けなかった。
MM医師「まだ試されるようになって実験段階ですから、承諾書をかいてもらう必要があります。本人と家族の印鑑をもらったらすぐに治療に入ります。いいですか?」
父「私はこうなってもやはり命が欲しい。どんな治療もする覚悟は出来ています。どうか先生方よろしくお願いします」と頭を下げた。
私は無茶苦茶悔しかった。それにこの医師に疑いを持ったし、信じることはおろか、承諾書に印鑑を押すことは出来ないと感じた。第一、父には余命宣告をしないでほしいと頼んであった。なのに、あっさり父に伝える。そして、このMM医師以外に同席していた医師は誰一人、ただの一言も発言しなかった。それはどこか異様な雰囲気で違和感があるのは否定できなかった。
しかし、父にしてみればそれどころではなく、隠しきれないショックを怒りとして私と同席していた叔父にぶつけた。「あと半年もてばいいほうだと俺が言っただろ!言ったとおりだ」と言い出した。確かに癌なら自分はあと半年だと言い切っていた。叔父は叔母が肝臓癌で3ヶ月の余命と宣告されそれから20年以上生きた事を伝え励ました。私もこの叔母が肝臓の手術をしたと聞いていたが、癌とは知らなかった。
叔父に「叔母は癌だったの?」聞くと、黙っていて欲しいという本人の希望でずっと隠していたという事だった。ならば父だってあきらめる事はないし、奇跡だって起きるかもしれないと、叔父と父を励ますが、父は返事もしない。この時の父は余命を宣告されて落胆しているという様子ではない。どちらかというと怒りで震えるという感じで、そのこみ上げてくる怒りを我慢しているようにしか私には見えなかった。とにかく父が落ち着きを取り戻すまで様子を見てから承諾書を持って家に戻った。
自宅に戻ると、父を見守ることしか出来ない自分と、不信感を持った治療しか受けさせてもらえないのかという悔しさ、父に余命告知をしたという怒りがこみ上げてきて、しばらく話をするどころか、食べることもできなかった。母はしきりに心配するが、言葉が出てこない。落ち着いてから、承諾書を見せながら事情を話した。「何かあっても一切責任を取りません」と病院側のコメントがある。余程取り乱していたのか私はこの時初めて気がついた。恐ろしい治療だと母は泣き崩れた。
その母を見ていたら、父が一人病室でどうしているのか急に心配になる。父は一人だ。冷たい病室で一人孤独と不安に耐えている。この孤独を考えるだけで涙が出る。しかし、何をすればよいのか判らない。
母と弟と相談した結果、承諾書にはサインをしないとう結論に達した。
弟は知り合いの医師に相談をすることにし、私はセカンド・オピニオンを聞くことにした。そして平行してその某ガンセンターに問い合わせ、このMM医師の言う抗がん剤の組み合わせで治療をしているかを問い合わせた。
出来る限り、実際の治療に関する情報が欲しかった。
翌日ガンセンターへセカンド・オピニオンを聞きに行った。「僕があなたと同じ立場ならサインはしません」というのが答え。「この薬で効果があるということは聞いたことがありませんし、もしいい結果が出ているのなら僕達は知っている」という言葉に私は納得した。「他にも治療方法が無いか聞いて見なさい。あるのですから」と代表的な治療法方を教えてくれた。大げさかもしれないが、治療方法は他にもあるのだという選択肢を見つけたことは大いに意味がある。
そして、この先生は「いつでもこちらにベッドを用意します。今から用意しましょうか?」と言ってくれたが、本人に確認を取ってからにすることにした。
しかし「釣りに行きたいと言っている」との私の言葉に「多分無理でしょう」と答えが帰って来て、治療をするとしても限界がある事を認めなくてはならないと思った。
そして有名な某先生のネットで抗がん剤の相談室というのに相談もさせていただいた。答えはガンセンターの先生と同じであった。そして某ガンセンターからもメールで返事を頂いた。「そのような治療を行った過去はありません」だった。
しかし、意に反して病院では抗がん剤治療の準備が進んでいる。血液検査を済ませ、明後日から治療に入るという。承諾書にサインもしていないのに、と思ったが止める方法を私は知らない。そして食事の量が減ってきたために、明日から点滴をするということらしい。父は「点滴をしてから愛犬たちと会うと、はしゃいで点滴の針やチューブにからまるといけないから、愛犬の顔を見るまで待って欲しい」と主治医に相談したらしい。「そうしましょう」と主治医は承諾してくれたので、愛犬たちを病院まで連れてきて欲しいと言う。実は、この日私は愛犬と一緒に病院へ来ていた。それを知っているのか?と不思議になったのだが、単なる偶然だった。
そして、運のいいことに病室から見える裏庭は愛犬を遊ばせるにはもってこいの場所で、父の病室からも良く見える。階段を下りるとすぐに裏庭に通じるので父にそこまで降りてきてもらい愛犬と会わせた。とても喜ぶ。3匹の愛犬のうち、恭平は私にべったりで父とはそりが合わない。しかし、この日恭平は真っ先に父に甘え、離れようとしない。「そうか、恭平まで喜んでくれるか?」と言い、泣き崩れた。「こんな事になってしまったんだ。命がけで頑張らなくてはならないから、しばらく会えないからな」と泣きながら途切れ途切れに恭平に言った言葉は私達には言えない自分の本心だと思った。この日が発病以来始めて見る父の涙であった。愛犬たちも父が泣き止むまで離れることはしなかった。
父は病室へ戻ったが、愛犬たちは裏庭で走り回り、その姿を父は病室から見ていた。すると、大きな病室の幾つかの部屋の人たちがそれに気がつき、同じように愛犬の走る姿を見ている。その人たちも私の愛犬から癒しの気分を味わってもらえたらと願った。
運命というのは不思議なもので、明日から抗がん剤という時、検査の結果が伸びて来週になるという。この時はまだ、弟が知り合いの医師と相談した結果を待っていて「署名捺印した承諾書」を請求されていた。このタイミングならもう一度医師と相談する事も出来るだろう。冷静になると、治療を始めるには承諾書が必要なのに、サインがもらえるのが当然と言う状況であることに気がついた。それとも、黙って医師の提示した治療方法に従うのが一般的なのだろうか?どちらにしろ、もう一度相談をしてみる必要はあると思う。
翌日、相談の席を設けてもらった。抗がん剤専門のあのMM医師も参加した。熱心に「この抗がん剤は一般に使われているし、自分はその研究のメンバー」とかなんとか説明した。英語の書類をテーブルに広げ「この辺りに僕の名前が書いてあるはず」と言っている。この人は私達が英語の文字を理解できると想像したのだろうか?だから英語の書類なのか?もしそうでないとしたら失礼ではないか?そう考えただけでこの人の人間性を疑い、はっきり言って説明なんて聞いていなかった。しかし、その先生が自分の名前をその英語の書面から探し出すより先に、私が探し出し読み上げた。その人はすぐさま「ま、そういうことです」と言ってその書類をさっさと片付けた。なんだその態度は!
しかし、一番の目的である治療方法についての話はまだ出ていない。そこで「セカンド・オピニオンでの答えは他にも治療方法があるはずという事なので、でその違う治療方法を知りたい」と言った。すると「私の提案した治療方法は受けないということなので、私は今後一切相談には乗りません」と言ってのけた。すばらしい。見事なまでの態度だ。ふざけるのもいい加減にして欲しい。が、あきらめず「先生の提案した治療を受けないという意味ではありません。他にもある違う治療方法を知りたいのです」と言ってみた。「ですから相談には乗りません」と言い残しご退席。私達親子はお口あんぐりであった。SM主治医が「本人の納得のいく治療方法にしましょう。しかしガンセンターは僕達より対処も早いし確実です」とフォローをしてくれて、結局私達親子はガンセンターに転院を希望した。直ぐに私はガンセンターへの転院を手配した。運がよく、来週早々に部屋が空くので転院が出来ると知らせを受けた。もちろん、転院が決まった。
父はこのMM医師のこの態度のおかげで、自分の病気に対して悲観的になっていた気持ちが、前向きなものに変って行った。
もっと良い治療がありその治療を受けるなら良い結果が出るに違いない。ならばがんばって闘おうという意欲を持つことが出来た。結果として、MM医師の態度は私たち親子には辛いものではあったが、それを乗り越える事でより良い未来を見つけ、親子としての結束も強まった気がする。
転院が出来るという知らせに父は「すまなかったな」と一言だけ言った。これは父の心の底からの言葉である。今までに一度もそういった言葉を口にした事が無い。いつも強がり、我慢をし、何でも自分で処理をしたがる父の性格には「素直」というものが欠けている。しかし、今回だけは自分だけの力ではなく、家族の力を感じたに違いない。何でも自分で出来る父が、初めて私の力を借りた。それを素直に認めたのだろう。そんな父の言葉を励みにこの先も頑張ろうと思う。 |