父の状態を診る為に、父を一度はガンセンターの外来で診てもらわなければならなかった。主治医にも体調の良い日でいい、と言われていたけれど、中々思う通りにはいかない。痛みが取れずに私だけガンセンターで痛み止めを処方してもらうときに父は私に気を使うようになり「慌てなくてもいいぞ。ゆっくり行って来い。少しぐらいなら待てるからな」と痛みをこらえて私がガンセンターへ行くのを見送る。本来の性格では「気をつけて」等という人ではなく「気をつけて行くのが当たり前」と思っている人なので、余程私に気を使っているという事が痛いほどわかる。
そして「明日ぐらいには何とか行けそうだ」と毎回言う。それは無理をしてでもガンセンターで診察を受けようと考えているのであって本当にこの状態で行ったとしても体力的に持つかどうかは疑問だった。そのため「痛いのに無理をしなくていいよ。行くだけでも大変なのに、長い時間待って診察を受けるのはもっと大変だから」と無理をさせないようにした。父は「大丈夫だ」と言うけれど結局「やはり無理をしない方がいいなぁ」と申し訳無さそうに言う。「いいよ。慌てなくても薬をもらってきて様子を見てからにしたらいいよ」と答える。それに痛み止めを増量すれば痛みは治まり診察を受ける事が出来ると考えていた。
「私の痛みとの闘い」は父という支えがあったから頑張れたと思う。患者である父を頼りにするのも変なことだが、父が頑張っていると感じることは私には大きな支えになった。一番辛い父が頑張っているのだから、自分も負けないで頑張ろう、と思えるのだった。そして支えである父は、私を支えにして病と闘っている。しかし、父とここまで力を合わせ、同じ目標に向かって頑張った事があっただろうか。
9月12日、父は「行けそうだ」と言う。状態も今までに無く良さそうなので父を連れてガンセンターへ。久しぶりに外へ出て歩く姿は力が落ち、痛みのある部分をかばっている。しかし病院に着くまではシートを倒して横になっていれば痛みは殆どない様子。それより病院に着いてからが一番大変で、車から診察室まで行くだけの移動が体に堪える。
この日は運の悪い日でもあった。いつもは朝9時に点滴を外す。しかし、この日に限っては、少し輸液が残った状態なので家を出る前に外すことにした。しかしいざ点滴を外そうとすると、ジョイントの部分が外れない。硬く締め付けられてしまいビクともしない。父も「やってみる」と言って外そうとするが、外れない。あせった私は点滴でお世話になっている病院に相談をした。今から病院に行けば外すと言ってくれたが、ガンセンターの診察時間に間に合わない。仕方なく、点滴をつけたままガンセンターへ走った。そして途中で主治医に電話し「点滴が外れません。どうしましょう」と泣きついた。「少しぐらいの時間はつけたままで大丈夫ですよ。こちらに来た時に外しますから。安心して下さい」と言ってくれた。父は痛い上に、点滴のバッグを引っ付けたままガンセンターへ行く羽目になった。
結局「今の状態で抗がん剤を入れるのは体力的に良くないので、入院して痛みのコントロールをしましょう。その様子を見て今後の治療を考える」と入院の手続きをしてきた。
この日、父は車椅子を引く私に気を使い、ベッドを借りるお願いをする私にも気を使い、横になっている間に私の昼食の心配もした。当たり前といえば当たり前かも知れないが、何度も言うが、そのような事を口にするタイプの人ではない。見ているだけで辛そうだと言うことがよく判り、痛みを我慢しながら私を気遣う父を見るのは辛く、そして私自身が惨めにすらなった。もし私がもっと力があり父を車から担いであげる事ができるなら、父は少しぐらいの移動で痛みが出ることもなかったかもしれない、もっと早く痛みを取る事が出来ていたなら、などと、自分を責めてしまうのだった。
9月20日、入院。痛みのコントロールがしてもらえるのは嬉しいことだけれど、なんとなく私には不安があった。個室をお願いしたが、待ち時間があり、長いときでは1ヶ月以上待たなくてはならない。その不安は、前の入院のように同室者の行動にイライラして病院を出たいとなったら困ってしまう。しかし、そんな不安を取り除いてくれたのは同室者の方たちだった。今まで2つの病院で3回の入院をし、何度も部屋を替わったりして随分色々な部屋を経験した。しかしどの部屋でも患者さんもその身内も、お互いに挨拶程度でお互いに会話をするなんて事は無かった。
いつも病室煮初めて入るとき担当の看護師さんが「Nさんです。よろしく」と同室者の方に声をかけてくれる。「よろしく」程度の挨拶はあるがそれっきりで会話を交わすという事は無いのが普通だった。しかし、今回の部屋では、初めて部屋に入って行った瞬間から挨拶をしてくれたり、父の容態を聞いたり会話があった。部屋の雰囲気も随分明るいことに気が付いた。
同室者のIさんはとても紳師で、私が部屋に入って行くと「ご苦労様です」と声をかけてくれる。Hさんは、いつも楽しい話題で笑いを作り、飼っている猫の話を楽しそうにしてくれる。もう、退院されたがSさんも私に「おぅ、来ていたのか?」などととても親しげに声をかけてくれる。
入院に対してかたくなだった父は、今までの部屋と雰囲気が違うことを気づくのにそう、時間はかからなかった。
入院した日、Hさんが「何処が悪いの?元気そうだが」と父は質問をされた。父は「胃癌で、痛みがあるから入院した」と答えたが、「食事を取れば元気になれるよ。胃癌患者には見えないですよ」と励ましてくれた。父は「それより、あなたは何処が悪いの?」と笑顔で質問をし、「そんなに元気そうなら、直ぐに退院だな」と笑顔で励ましていた。すると、他のIさんと、Sさんも会話に入り、お互いが自分の病気の事を話し始めた。1人を3人が励まし、又他の一人を違う3人がはげまして結局4人が全員他の3人から励まされ、気持ちが通じていくようだった。
考えれば、癌患者同師が励ましあい、お互いにいたわりあうことは不思議な光景でもある。しかしそれは、病気を経験していない身内や、病気に関して詳しいことを知らない人が「元気になれるよ」と励ますこととは全く違って、同じ辛さを経験した者同師の心からの励ましは心へ伝わるものが違うのだろうと感じた。事実、「経験したものにしか判らない」という言葉が何度も出てきた。きっと身内が励ますときには、その励ましに答えなくてはならないという気持ちがどこかに働くが、同じ経験をしたもの同師は、励ましの中にいたわりの気持ちがあるのだろうと思う。それに健康な人が励ますとき、同情という気持ちが入る。しかし、同じ辛さを経験したもの同志は、友情を生むのだろう。
I氏が検査が終わり、思ったより病状が進んでいないと判った時、他の3人が、こぼれんばかりの笑顔でこの方と一緒に喜び、この部屋は和やかで、暖かく、素晴らしい空気に包まれていた。S氏が退院が決まったとき、父を含む他の3名が「寂しくなるな。でもSさんのお陰で、みんな元気になれた。ありがとう」と言って退院を喜んだ。Sさんは「検査があるからその時にここに来るから」と言い残し退院されたが、本当に部屋に顔を出してくれた。想像以上に元気になられたSさんの表情に皆が驚き、その元気な姿を皆で喜んだ。私には入る隙間も無い絆が出来ているような気がした。
Sさんの後に入院された方は、手術が決まっていて、初めて入院した日、随分と落ち込んで、暗い顔でベッドに座り「よろしくお願いします」と挨拶をした。すると、H氏は「何処が悪いの?」と、父の時と同じ質問をした。そして、同じように3人がこの方を励ました。そして「食事も取れないほど落ち込んでいたけれど、結構皆さん明るいのですね。なんだか励まされます」と、驚きの表情を見せた。時に毒舌交じりの励ましは、気力増加につながったらしい。この方は見る見る食欲が出てきて、表情も随分と明るくなり、手術の日には「皆さんのお陰で、手術室に笑顔で行く事が出来ます。ありがとうございました」と頭を下げて手術室への廊下を歩いていかれた。胸を張って歩くその姿は勇敢な感じがして、今でも私はその姿を忘れられない。
その他にもTさんや、Yさんといった方達と友情が出来て、そして何より父は今までの中で一番笑顔を見せる時間が多かった。 私が毎日病院へ行くと、この方達は待っていたかのように「いらっしゃい」と言う。そして他の方たちに父は随分とからかわれるようになった。「娘さんが帰ると、火が消えたように元気が無くなる」という事らしい。父は「もう用は無いぞ。さっさと帰れ」と、勢いの良いところを見せる。「また強がりを言う」と他の人たちにからかわれ、そして明るく楽しい笑いがあふれる。
しかし、それを言われた時、父が一人で病室にいる時の状況を始めて知った気がした。
連休前のある日、Hさんが一時帰宅が許可された。しかし、家では一人暮らしのため話し相手がいないから帰りたくないと、一時帰宅の許可を受け入れなかった。その時、やはり、気持ちを話せる相手、甘えることが出来る身内は患者さんの強い味方になるのだろうと改めて感じた。父も私が来ることを待っているに違いない。皆さんと楽しい会話をしていても、やはり身内の力は必要だと思うし、それに改めて気がついたからには、少しでも明るく楽しい時間を過ごせるようにしたいと思う。
父は個室の空きを待っていたが「この部屋でいいぞ」と言う。前とはえらい違いだ。人間関係というか、人が人に与える影響は想像以上に大きい。他の方も、個室を待っている方がみえたがやはり「ここでいい」と思っていたそうだ。
痛みのコントロールは、主治医にお任せをし、出来るだけ病気の事を考えないようにしていた。しかし現在どれだけの痛み止めの量になったのかを知りたくて父に聞いた。すると、想像以上に増えている。それだけで足りずにレスキュー(突然出る痛みの対して使うためのお薬の総称)を使う。父は「調子はいいぞ。痛みが前より楽になった」と言うが、当たり前だ。それよりまだ痛みが完全に治まらないと考えた方が良さそうだ。しかし、父の安心を私が崩す必要があるだろうか?いや無いだろう。痛みが無いから歩いて体力をつけなくては、と言う父に「痛み止めの量からして歩いたら又痛みが出る」とがっかりさせるような発言は今の私には出来ない。
この頃の私は恭平の動物病院と父の病院と両方をはしごしていたのだが、どちらかと言うと恭平の容態の方が深刻になっていった。このまま父が痛みから開放され楽になり、そして治療をなんとか再開できるようにというのが私の望みでもあった。しかし、そんな望みは打ち崩される。 |