9月19日 痛みのコントロールのために父は入院した。 その前日の18日で、私の記録は終わっている。 父はカレンダーに治療の予定を書き込んでいたが、それは7月で終わっている。 父が入院をすると決まって数日後、恭平がまるで私の世話を待っていたかのように悪化した。 父が入院するとさらに悪化した。 父の病院から帰るのを待っているようで、嬉しそうに出迎え、そして安心した表情で眠る。 私は2種類の記録を残した。 一つは、父を癌の患者として見る目から、病状を記録したもの もうひとつは父の娘としての記録。 今この記録を見ると、自分の中には二つの自分がいたような気がする。 冷静に父の病状を観察する自分と、父を失うかもしれないと動揺する自分。 冷静に父の病状を観察することで、少しでも残された可能性を探っていた。 父を失うかもしれないと動揺を抑え、父を出来る限り支えれるように奮い立たせていた。 最後まで冷静に父の病状を記すことが出来なかった理由は、 父を失うかもしれないという思いが冷静さに勝ってしまったのだと思う。 恭平の詳しい病状の記録を残せなかったのは、恭平が「癌」であると信じられなかったからだ。 今でもあの自分の感情は覚えている。 「恭平までも癌になるはずはない。父と恭平を奪われるはずはない」 しかし、父の看病を経験した私は、恭平を看病する勇気をもらい、 恭平の死を見つめることで、今しか出来ないことを出来る限りする、という勇気をもらったと思う。 恭平が最後に散歩した公園はがんセンターの裏にある公園だった。 父はその恭平を病室の窓からながめていた。 その日、目を輝かせて歩く恭平と、穏やかな表情をして恭平を眺める父が 今は一緒にいるのが不思議でならない。 しかし、父と恭平が一人ではないと思えるとき、辛くて悲しい気持ちの中に安心と言う気持ちが沸いてくる。 最後に 私のメモには父が食べたものも記入されているけれど、それは省いてある。 日にちがずれている場合、時間がずれている場合もあるが、日付、時間は自分の記録通りに記入してある 質問などがある場合は、トップ・ページからmailをいただければと思います。
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