Diary 2003

’03
12月
31 29 28 24 23 21
19 16 14 11 10
9 8 2

11月
30 29 26 20 17 14
9 6 5 4 2 1

10月
27 25 24 23 22 19
17 15 14 13 12 11
10 9 8 6 5 4
3 2 1

9月
29 26 25 24 23 22
20 19 18 17 16 15
11 9 7 6 5 4
3 2 1

8月
31 30 27 26 25 24
23 22 20 19 18 16
15 14 13 12 11 10
9 8 7 6 5 3 2 1

7月
31 30 28 26 25 24
23 21 20 18 15 8 1

6月
30 26 22 20 14
12 11 10 9

5月
29〜11 7 1


3月
31〜1

2月
28〜15 14
13〜8

1月
27 26 24 23 21
20 16 15 14



12月31日
今年がもうすぐ終わる。父のつらい戦いと共に今年が過ぎ去っていく。出来るなら新しい年とともに父に安らかな眠りが訪れますように。

そして、皆さんにも素敵な一年が訪れますように


ホスピスの皆さん、本当に感謝しています。
父がホスピスを出るとき別室に移り、そしてお世話になった看護士さん、主治医は一人ずつ父に声をかけてくれ、そして主治医も涙して別れを惜しんでくれました。
車が見えなくなるまで父を、私を見送ってくれた時、この瞬間は時間が全て父の戦いへのねぎらいだと感じました。

12月27日 AM:500父は天国へ。私の手を握りそして安らかに穏やかにその瞬間を迎えた。今まで痛みで苦しんだ表情は、穏やかな表情へと変わっていった。母には「もうだめだ」と言うことを言ったらしいが、私には最期まで「頑張る」としか言わなかった。父の愛情だと感じた。

ジュディーとさくらは眠っている父を見て尻尾を振り、父を起こそうとしている。
しかし起きない父の顔をなめる。その顔は冷たかった。2匹は驚き、動きを止め、布団の中にもぐりこみ、父をゆすった。

葬儀が終わり、父は自宅に戻ってきた。姿は変わっても自宅に戻ってきた父に「お帰りなさい」とだけ言った
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12月24日
しんどいらしいが、痛みなどは安定している。眠ってばかりだけれど、苦しくて眠れないというよりはいいのかもしれない。
肝臓にする点滴は今も継続していて、yamatoさんのアドバイスどおり時間がかかっても数値が改善するといいなと思う
とにかく何より、
昨日24日で初めての入院から1年。Merry Christmas!!!!!!!!
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12月23日
肝機能の数値は悪化。   ひどい。ひどすぎる
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12月21日
ひどい痛みが出て、痛み止めを増量。そのせいか、眠っている事が殆どという状態。黄疸は出ていないけれど、しんどそうなの肝機能が低下しているからだろうか?明日は血液検査で肝臓の数値がどれだけ改善されたかを確認する事になっている
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12月19日
肝機能悪化
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12月16日
寝たきりで背中が痛いと言い出し、看護士さんと私で背中のマッサージ。気分が良くなったのか、元気も出てきた。しかし、我侭がひどい。枕が高い、水が冷たくない、テレビの音が小さい、足が冷たい、等等。昨日は疲れた。
晩御飯にピザを食べていると「くれ」と言い3口ほど食べた。看護士さんに報告すると、目が点。。。。「え?ピザ?ですか???どれ位????」
そして私が帰ろうとすると又我がままを言い出す。やはり寂しいのだろう
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12月14日
母がホスピスに泊り込んでいるので、私は父の姿を今日は見ていない。しかし母からの電話で父は水分を取る量が減ってきたと言う。  心配になる。。。。。
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12月11日
痛みは落ち着いた様子。しかし幻覚が見えるかどうかと言う境目では、なにやら朗らかな様子。しかし今日は痛みも無く、幻覚っぽいものも無いためかブスッとしかめっ面をしている。
エンシュア・リキッドを飲むように薦めたが、その気がないらしい。カキ氷は1日1つは食べるのだけど。。。。
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12月10日
幻覚は修正可能な状態だと言う事で、痛み止めを少し調整したら、幻覚は無くなった。しかし痛みが出て苦しかったために痛み止めを使った。しかし、痛みが治まらない。一体どうしたら。。。と今日は一日悩んでしまう日だった。しかし、よく観察すると、しゃっくりをしている。そしてそのしゃっくりが出た後に「うぅ〜」とうなっているようだ。
まさか、脅かして直ると言うことはないだろうと思い、先生にしゃっくり止めの注射をしてもらった。30分後楽になり眠った。
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12月9日
幻覚症状に間違いない。
痛みは全く無いので楽になったと言うが、突然意味不明の事を言い出したときには悲しくて仕方がなかった。
痩せ方が尋常じゃない。そういえば恭平も1週間ほどで恐ろしいほど痩せたが、それを考えると少し怖くなる。エンシュア・リキッドを飲ませてみたが多少でも体重減少に歯止めがかかるといいなと思う
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12月8日
父は少しずつだけど食べ物を口にするようになった。りんごの摩り下ろしたものを昨日は食べた。イチゴを食べた日には先生が「何とも無かったか?」と異様に気にていた。それから、心配事発生。意味不明のことを言い出した。
まさかこれが、モルヒネによる幻覚症状か?主治医に相談しなきゃ
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12月2日
眠気が少なく痛みも殆ど出なかった。そのためか、会話がいつもより多く、元気な頃の父と同じような口調で話をする。
夜9:30ごろホスピスを出ようとすると父は顔をしかめる。痛みが出たらしい。結局10:30過ぎまで父の様子を伺っていたが、大したことにはならなかった。「帰れ」と急に言いだすので「痛みが無いのなら帰るけど、大丈夫なの?」と聞くと「帰ったほうがいいだろ?」と答える。その返事には帰って欲しくは無いが、という意味合いを含んでいるような気がした
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11月30日
私がホスピスへ行くと「吐き気がする」と吐き気止めの点滴をしていた。お腹を1時間ほどさすって、吐き止めも効いて楽になったよう。安心するやら心配になるやら。。。。昨日のおかゆのせいか?
今日も10時過ぎまで病院にいて「又明日ね」と言う私の問いかけに「おう」と明るく答えた
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11月29日
夜、おかゆを食べたという。しばらくぶりに便が出てお腹がすっきりしたため、空腹感が出ておかゆが食べたくなったらしい
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11月26日
久しぶりに血の混じった嘔吐をした。予定されていた輸血は数値が7.0まで上がったために中止になった矢先だった。しかし嘔吐した量が少なかったためかそんなに深刻な状態にはならず、結局輸血は見送り。
しかし、体がだるいと訴える。徐々に弱っていくと言われた言葉を思い出していくら肝臓の数値が悪化していなくても、貧血が改善されても癌は父の知らないところで父を乗っ取るつもりでいるのか。。。。
なんとかして、今の状態をキープしたい。もう直ぐクリスマスだから父に生まれて始めてのクリスマス・プレゼントをしたい
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11月20日
貧血が進んでいて、輸血をしてみようという事になった
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11月17日
昨日は家族全員と愛犬と一緒に食事をした。父はやはりさくらとジュディーを見るとニコニコしてベッドの横で抱きしめていた。
今日も連れて行こうかな。。。。。
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11月14日
ホスピスへ引越し。ガンセンターを涙で出発した父はお世話になったと、涙を流した。
昨日は前に同じ部屋だったIさんとYさんが病室にお別れに来てくれて、このときも泣いた。「嬉しい」と涙を流す父を見て今回の入院は同じ部屋の方や、看護士さんに恵まれていたと実感した
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11月9日
個室では看護士さんたちの対応にとても満足している。容態も思ったより安定してきた。痛みが無ければ普通に会話をし「早く良くならないと」と意欲を見せる
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11月6日
父は今日から個室へお引越し!!!!!ソファがある!!!!トイレもある!!!!テレビも見放題!!!!!付き添っていても楽だ!!!!!今まで私は何度か入院の経験があるが、こんなに快適だと今回は父より喜んでしまった。考えれば自分が病気や怪我で個室に入っても具合が悪いのでそこまで気づかなかった。父は一人で寂しくなったら4人部屋に戻ると言ってる。入院が長くなると個室の部屋代もかさむ。癌保険には入っておくべきだと反省。。。。。
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11月5日
看護師長さんが黄疸も腹水も無いので、急に容態が悪化するという状態では無い。しかし徐々に体力が衰えていく、と説明をしてくれた。明日から個室に移動
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11月4日
やつれた表情を見せる。私の顔を見るなり「もう死ぬな」と言う。精神的にもかなりの落ち込み
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11月2日
嘔吐、発熱。そのために体力を消耗ししゃべる事が困難なほど
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11月1日
痛みが中々取れなかった。夕方痛みが取れたが発熱。殆ど寝たきりの状態
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10月27日
同じ部屋でお友達になったHさんが退院と聞いて、ショックを受ける。しかし聞き違いであった。
シャワーを浴びたのだが、一人で頑張れる様子。そしてjimiさんに頂いたお茶も一生懸命飲んで直すのだと、意欲を見せる。本心はホスピスへは行きたくなさそう。。。。
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10月25日
父が自宅へ。戻ったらいきなり嘔吐。しかしその後は昼寝をしたり、自分の欲しいものを探したり、愛犬たちと一緒に笑顔で過ごした。愛犬のパワーはすごいと思った。かなり疲れたようだが自宅で嬉しそうに過ごしたので良かったと思う
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10月24日
今日は恭平の初七日。早い。時が過ぎるのは本当に早い。しかし私はまだ恭平がいない生活には馴染めない。ジュディーとさくらは今まで以上に元気で、私にも元気をくれるためか恭平がいないのは辛いが、この元気さは私にとって救いだと思う。だって、ウルウルって来ると2匹がダダッツと走ってきて「散歩行こうよぉ!!!」だもの。

昨日久しぶりに父とはゆっくり話をした。「まだ頑張りたい」という気持ちが伝わってくる。体重が落ちたが、食事を取れば体重も戻り体力もつく、他の治療方法も出てくるかもしれない。と言う。生きることへの希望は父には残っている。ならばホスピスは逆効果になるのだろうか?私は迷ってしまう。父は「ガンセンターは最高だ。最高の治療を受けれる」とも言っている
父は明日外出扱いで家に帰ってくる。何日ぶりだろう? 
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10月23日
今日の朝は久しぶりに気分が良かった。恭平は苦しみから解放され「ゆっくり寝ているよ」といっている気がする
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10月22日
恭平は姿を変えたがずっと一緒にいる。あの優しいまなざしで私を見ることは無いけれど、どこかにまだ恭平の気配を感じる。そう、私の横にいる。叔父が電話をくれた。「香典はいるか?」と言った。父は昨日から食事を少し取っているらしい
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10月19日
10月19日 15時に恭平は、新しい姿になり私の元へ帰る
10月18日 午前5時   私の腕の中で恭平は天使になった。
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10月17日
父は、主治医の説明を聞いた後、がっくりしてしまい、トイレへ行く事も困難になった。しかし、母が付き添いをして、何とか持ち直し精神的にも落ち着いてきたようだ。どうなる事かと心配したがこの調子なら大丈夫そうだ。母も私の代わりに病院につきそってくれるようになった。
今は恭平の看護に全力を尽くしたい
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10月15日
恭平の体重はかなり減少した。こんなに軽くなるなんて
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10月14日
主治医からの説明があった
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10月13日
食が細くなってきて、落ち込んだけれど鳥のささみは食べた。
わがままなのか?それともほんとに食欲がないのか? 
寝ているときに起こしたら、歯をむいて怒った。「起こすなよ!寝てるだろ!」だそうだ。怒る元気はある。
気がつくとベッドから起き上がり、テラスの外を見ている。外は夜。何を見ているのか?というより何が見えるの????が、起き上がる力はある
しかし夜、何も食べたくないと恭平が食べ物を拒否。無理に食べさせるよりは、明日点滴をするか動物病院で相談をしよう  
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10月12日
恭平は自力でトイレへ。気がついた私は排尿を手伝う。夜中に2回ほどはトイレに行きたそうにするので、そのたび目が覚める。しかし、恭平が楽になるようでさほど気にならない。
父の病院は今日は誰も行く予定をしていない。行かなくていいのも同室の方たちと気が合うためで、皆さんに感謝。。。。
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10月11日
父は体調が戻った。昨日嘔吐した後楽になったとの事。恭平は、おしっこを絞ると今までより出が良くなった。しかし、排尿は体に負担になるらしく、動物病院でカテーテルを通して出してもらった方が確実、安全のよう。お金はいくら使ったのだろう?
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10月10日
恭平の食が細ってきた。体重も減少。父もこの日体調が悪く嘔吐。
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10月 9日
弱っていく恭平の姿を見て、落ち込んだがjimiさんやyamatoさんが励ましてくれて、少し「頑張らなくては」と気持ちが起き上がった。ありがとね
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10月 8日
恭平は殆ど歩けない。しかし何故だか誰も自分の周りにいなくなると、お水を飲みに行ったりおトイレを挑戦したり(自分での排尿は困難)している。何故だろう?
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10月6日
病院から 帰ると恭平の容態はあまり良くない。おしっこを出しても残尿があるせいか苦しそう。呼吸も荒いし、動かない。このままどうにかなるのかとあせって殆どパニック状態。しかし、動物病院で処置をしてもらうと少し楽になった様子。安心して自分も少し落ち着いた。そしてすやすや眠る恭平の顔を見て、恭平を苦しませる事はしないように、自分が強くならなくてはならないと気がついた
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10月 5日
父の病院へ、母、弟、ジュディー、さくらを連れて行くことになったが、恭平もやはり連れて行かなくてはと思う。結局一緒に出かけたが、公園で動きの悪くなった足で一生懸命歩いている。ついついだっこをしてかばいたくなるが、恭平は「大丈夫、僕歩くんだ」とでも言いたそうにだっこの申し出を断った。さくらやジュディーの仲間に入り遅れながらも楽しそうにしている。このまま回復をしてくれたらと願う。
帰りは「だっこして欲しいな。僕、疲れたんだ」とでも言いっているかのように、私にだっこをお願いした。
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10月 4日
恭平はおしっこが出ると少し、回復するがやはり状態はよいとは言えない
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10月 3日
恭平はやはりおしっこの出が悪い。カテーテルで排尿をしなくてはならない。
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10月 2日
恭平の後ろ足が動きが悪くなった。歩くことが困難に。父、安定
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10月 1日
恭平、日帰り入院。父は安定
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9月29日
病室に行くと、お風呂に入ってきたという。かなり疲れてしまってぐったりしている。しかし、同室者との会話が弾んだせいだろうか?元気が出てきて、テレビを見ている。
恭平が様子がおかしい。慌てて動物病院へ。尿毒症になりかかっていた。
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9月26日
なんとなく顔がふっくらしている。体重を量ると、2キロ増えた。腹水でなければいいが。
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9月25日
食欲減る。痛みも朝方にあるらしい
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9月24日
おかゆを食べたがその他は食欲なし。痛み止め増量
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9月23日
食事は出ないが、痛みが取れると食欲がわくという理由から、食事をだしてもらう
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9月22日
同室者と会話が弾み、笑顔を見せるが、長くベッドに座っている事は困難
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9月20日
主治医の指示の元、痛みが少しでも出たらレスキューを使う。特に今までと変わった治療法法は無い
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9月19日
入院。
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9月18日
痛みはレスキューだけで追いつかない。ガンセンターへ。痛み止め増量。痛みのコントロールの入院をお願いする
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9月17日
痛みが激しい。レスキューを2回使い何とか過ごせる
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9月16日
トイレに立ち上がり、急な痛みが出る。レスキュー、座薬で対処。しかし直らない
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9月15日
恭平の状態が悪化。おしっこが自分で出来ない。
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9月13〜15日
割と調子がよく、痛みも特に無い。しかし、動くと痛みが出るため殆ど布団で過ごす。ここの所続いた痛みのためか体力の消耗が激しい。食欲なし
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9月11日
夜、最期の一つのレスキューが無くなった。ガンセンターに電話をして処方をお願いするが、断られる。外来の時間まで我慢しろと言われた。痛みは、朝方から出始めたが、我慢をし父もガンセンターへ。痛みを押しての外来のためベッドを借り横にならないと待てない。主治医の診察で痛み止め増量。レスキュー処方。帰宅後、割と調子が良い
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9月10日
痛みが無く、調子が良いと言っていたが、トイレに立ち上がると激しい痛みに襲われる。
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9月8〜9日
痛みあり。レスキューを使っても、一時的でしかなく、痛みはすっきりしない
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9月7日
やはり痛みが出て、レスキューで対応。しかし、どういうわけか少し動くと痛みが出るという
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9月6日
痛みが出る。レスキューで対応(2回使用)
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9月5日
痛みの回数、度合いがひどくなる。クリニックが往診に来てくれている間、ガンセンターへ走り痛み止めを処方してもらった。痛み止め増量。レスキュー処方
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9月4日
痛みがかなり激しい。救急車を呼ぶべきだろうか?しかし、座薬で少し落ち着いた
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9月3日
痛みがかなり出る。座薬で対処
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9月2日
ショッピング・センターで散歩を兼ねて買い物をしたいと言い、出かけた
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9月1日
クリニックで診察。歩いて移動できた
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8月31日
食後に痛み出る
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8月30日
痛みあり。座薬で対処
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8月27〜29日
食欲はある様子。量は少ないが、少しずつ食べる
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8月26日
ガンセンターで検診。夜中からお水のような便が出るらしい。色も黒いとの事。ガンセンターにつくなりトイレへ行きたいと言い出すが、歩く体力ナシ。結局車椅子で慌ててトイレへ。検診の結果、腫瘍マーカーが減少。体力は落ちたが、抗がん剤は効果があったと言うことらしい。貧血は改善せず。鉄剤を今日から服用予定
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8月25日
気分が大分よくなったらしい。おかゆを一日3食、各お茶碗に半分食べる。半日は起きてテレビを見ていた
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8月24日
食欲が昨日よりあり。おかゆをお茶碗に半分食べる
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8月23日
トイレへ行く姿に少し力が戻ってきたような気がする。おかゆ、アイスクリーム、プリンを各3口食べる
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8月22・21日
殆ど寝たきり。少しだけ食べる気になり、おかゆを3口食べる。しかし布団から出ることはない
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8月20日
午前中、点滴のため病院へ。その後おにぎりが食べたいという。食べたらもどす。夜中に下痢。体力が大幅に減少
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8月19日
おかゆを少々食べた。点滴をするために近くの病院へ。3時間の点滴をしてもらう
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8月18日
退院。どうしても退院したいと言うので、主治医に頼んで退院させてもらった
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8月16日
弟と母、愛犬たちが病院へ。愛犬は父と面会。今のところ抗がん剤の副作用は出ていない
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8月15日
弟が病院へ。坊主になって始めての面会。弟はさすがに痩せて、坊主になった父の姿にショックを受けた様子。2回目のタキソテール点滴終了
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8月14日
母が病院へ。特に変わった様子は無いが、便秘が治らず浣腸をした
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8月13日
母も夏バテ気味で病院へいけないと、父に連絡。「点滴をして来い」と私を気遣う
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8月12日
病院へ再び帰る。大分精神状態は安定してきた。病院へ行く途中、スーパーへ寄った。歩く元気もある。まずまず。しかし、家に戻ると疲れからか発熱をした
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8月11日
病院へ行くと「おうちに帰りたい」と号泣。が4日前は退院の言葉で涙。精神状態はかなり悪い。婦長さんに頼んで急遽一時帰宅させてもらう。家に帰ったら「しゃくらしゃん」と「ジュディしゃん」を相手に笑顔
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8月10日
病院へ戻る
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8月9日
一日中、布団で過ごす。食欲なし。体がだるい。健康食品は飲む
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8月8日
一時帰宅。お昼にそうめんを1.5人分平らげた。久しぶりに沢山食べた。でも少し心配
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8月7日
病院から電話あり。床屋で坊主に。退院しろと言われたらしく、医師が自分を見放したと泣く。急いで父を迎えに病院へ。顔を見るとけろりとした顔をしていて「明日から一時帰宅らしい」と言う。退院ではなかった
8月6日
熱は36度台へ。しかし食欲が無いので結局点滴をする。胸に針を刺す部分を埋め込む物で、数針縫ったと言う。なんだか重病人になったよう
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8月5日
熱は下がる。しかし、34.5度と低体温へ。父は体温計が壊れれていると信じて疑わない。父を触ると氷のように冷たい。私は怖くなった
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8月3日
又、もどす。
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8月2日
私はいつもの、神社でおみくじを引いた。「じっくり養生するように。吉」とある。父は熱はあるが割りと元気そう。そうめんを食べる。今日からアラビノキシランと鮫の脂の健康食品を始めた
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8月1日
今日も、熱は下がらず。胃カメラの結果次第で緊急手術を予定していたが、十二指腸の閉塞は見られないし、癌は存在するものの安定しているので、様子を見るということになる。ネットで知ったアラビノキシランを売ってくれうる会社からカウンセリングの電話あり。「食事が取れるのなら立派なもの。薬に反応しやすい体質のようですから、アラビノキシランにも反応してくれる可能性が大。あきらめる必要の全く無い方です」と言われた。
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7月31日
胃カメラ。検査の最中寝ていたと嘘みたいな事を言う
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7月30日
食事があまり取れないので明日、胃カメラをする事になった。熱あり。昨日は無かったのに
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7月28日
血液検査の結果、少し白血球が減少。血を吐いたために貧血が少し進むが今は出血はしていないと言う判断で今日の夕飯から食べる事が出来る。便秘解消。発熱あり
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7月26日
ずっと寝ている。なんとなく「もうダメだな」と父はあきらめているようだ
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7月25日
今日は母が病院へ。以外に元気そうで吐き気もおさまっていたらしい
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7月24日
お昼頃病院へ行くと「吐いた」と言う。その後夕方まで4回ほど吐いて苦しんだ。絶食の指示あり
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7月23日
抗がん剤、点滴
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7月21日
病院へ戻った
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7月20日
アユ釣りをするために、父、母愛犬たちと一緒にいつもの川へ。疲れて何もしなかったが愛犬たちは大喜び
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7月18日
先生から説明。転移した肝臓の癌が大きくなっているためTS-1は効果が薄れたと判断。タキソテールを使うとのこと
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7月15日
ガンセンターに再入院
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7月8日
朝、急患で見てもらおうと主治医に連絡した。しかし「お水が飲めればいい」とそっけない返事。が、気にしている場合ではない。違う医師に診てもらって、結局入院をすることに。先月取った腫瘍マーカーもまたまた大幅UPだ
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7月1〜7日
布団で寝ることが多く、痛みも激しくなってきた。痛みがある時の父の体は異様に冷たい。さする時間も回数も増やしたが、背中が痛いというのが気になる。やはり気になるのでガンセンターへ行く事にする
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6月27〜30日
食事の量が減ってきた。時々背中が痛いという。27日には、胃が痛くて眠れなかったと言う
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6月26日
検診。骨シン値結果も異常なし。腫瘍マーカー5月分は大幅UP
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6月22日
父の友人と、愛犬と私とアユ釣りへ。終わったときにはさすがに疲れていた
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6月20日
骨シン値の検査
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6月14・15日
毎年行うグループ旅行へ。皆がとても気を使ってくれたと、喜んで帰ってきた
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6月12日
ガンセンターへ抗がん剤をもらいに行く。骨シン値も検査する事になった
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6月11日
昨日の事があり不安になりはじめ、抗がん剤を飲んだ方が安心すると言う
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6月10日
買い物途中、腰の痛みが出て、急患で医大病院へ
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6月9日
ガンセンターへ抗がん剤をもらいに行く。この時先月計った腫瘍マーカーの数字が出ていた。大幅UP。いいのだろうか、何もしなくて?医師は「問題ない」だそう
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5月11〜29日
状態は安定していて、食欲もあり。体重も4キロほど増える。散歩へ行ったり買い物へ行ったりして過ごす。しかし、する事の無い時間帯は何故かボーっとしていて以前のように積極的に行動をするということは無い
5月21日には
旅行へ行く予定があるので抗がん剤を旅行の後まで延ばしたいと聞いてみた。「大丈夫」という医師の判断
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5月7日
便秘薬が欲しいと、医大へ。前の主治医の診察を受ける。「涙が出るほど嬉しい」と父の回復振りを喜んでくれた
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5月1〜6日
体調も悪くない。食欲もどんどん出てきた。何よりイライラの副作用が嘘のように無くなった。医大の精神科の先生には感謝
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4月30日
医大で、イライラの原因が副作用であると判った。副作用を抑える薬があるので処方してもらう。父は涙を流しながら喜んだ。それ程つらかったのだろう。入院をさせなくてよかった。私も一生懸命だったのか、喜ぶ姿を思い一人で涙した
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4月20〜29日
イライラすると言う。座った時、布団に横になったときに特にひどく、布団で寝ることが出来ないらしい。殆ど一晩中椅子に座るか、立っているかでないとイライラしてたまらないと言う。記憶力も非常に悪く、自分の飲む薬が覚えられない。精神科で処方してもらった眠剤は全く効かない。私にも、とにかく何とかして欲しいと言うような事を訴えるが、何をしてもどう手を尽くしても父は眠れない、イライラする。自分で自分が制御できない状態なのだろう。私も連日続く父の看病に疲れ、病院に入院して治療を受けた方が父のためだと決意した。一体癌と戦っているのか、精神病と戦っているのか?
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4月1〜9日
何故か、父がよだれを垂らすようになった。記憶力は恐ろしいほど悪く、折り紙で鶴の折り方を教えて欲しいと言うが、全く覚えられない。夜も眠れないらしいので、夜中に起きて一人で鶴を折っているが4つに折るところから全く覚えていない。しかし、その先を1時間でも考えながら折り紙をいじっている。モルヒネの影響か?
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3月1〜31日
態度が子供っぽくなってきた。私が行くところどこへでもついて来て一人で行動すする事は無い。食事も沢山食べる事が出来るのだが、胃に負担をかけすぎるなと、注意すると隠れて食べる。そして「さっきパンを食べた」と事後報告をする。まるでいたずら好きの子供だ
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2月28〜15日
食事はあまり食べられない。殆どがおかゆか、そうめん。一日1食ほど。しかし、必要な栄養はエンシュア・リキッドで補給。少し食事を取ると、胃の裏辺りがウズウズするらしい。さすってあげたら気持ちよかったらしく、その後、毎日さすって欲しそうに私の周りをうろつく
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2月14日
退院。自宅へ帰ってきたら温かいそうめんが食べたいというので作ってあげる。そうめんを目の前にして涙した。発病以来見た2度目の涙。しかし、嬉し涙と父は言う
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2月8〜13日
病院にいても暇で仕方なくてイライラする、といい始める。夜も眠れなく病院内を徘徊しているらしい。食事は少しだけれど取る事が出来て、点滴も外してもらった。
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1月27日
抗がん剤始まり。TS-1のみの単独服用。いきなり食事が出て「食えるか!!!!」と怒った
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1月26日
少し微熱あり
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1月24日
微熱になった。月曜から抗がん剤を始める事に
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1月23日
カテーテルの針を入れ替えてみた。熱、下がらず
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1月22日
熱は高い。抗生物質が効いていると熱は下がる。熱がある時「本にある内容を忘れた。それを思い出すと直る」と読んでいた文庫本を私に差し出し内容確認を要求。私は熱が高くて思考能力もずれていると判断した。私達も主治医に呼ばれ「貧血がひどいので輸血をする。熱の原因がカテーテルの針からの感染症の可能性があり、針を変えると下がる可能性がある」と2点の説明を受けた
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1月21日
VIP ROOMへ移動(ナースセンターの目の前の事を私はこう呼んでいる)自体は深刻か?
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1月20日
熱が39度以上ある
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1月16日
主治医から呼び出し。TS-1を使う、と説明を受ける
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1月15日
レントゲンとエコーの検査だけした
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1月14日
ガンセンターに転院。医大病院で主治医が何度も「頑張ってください」と言いに来た
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