平成15年1月1日 (水) 晴れ
新しい年の始まりだ。今年はリハビリにも進歩がある事を願う。そして入院に備え少量ずつでも食べて体力をつけなければならない。
夕方弟家族が年始に来訪。二人の甥に足と上半身を持ってもらって移動。せめて家の中の移動くらい一人でスムーズに出来るようになりたい。
1月2日 (木) 晴れ
寒い1日であったが、妻の実家へ年始に行く。昼食後下がりが悪く、調子もあまり良くないため早めに帰宅する。
やはり食べられないという事が気になるところだが仕方が無い。
1月4日 (土) 曇り
徳さん夫婦が年始に来訪。正月に入ってから食事の量が減ってしまい、その事が気になっている。正月のおせち料理を食べたり時間も不規則だったりするのが良くないのかな?入院前までには改善しなければと思う。夜従兄弟夫婦来訪で励まされる。
1月5日 (日) 晴れ
Nさん来訪。市場の近況を聞く。何処も不景気で大変そうであった。余程上手に切り盛りしなければ乗り切れない年になりそうだ。
今までの常識を捨てなければやって行けない事を実感として感じられる。いろいろ考えても良い考えが浮かんで来ない。久々に病気の事を忘れられた1日となり有りがたかった。
1月6日 (月) 晴れ
51回目の誕生日。もう少し良い状態で迎えたかったが残念。相変わらず歩けずにいる。来年の誕生日にむけてリハビリしなければ!
*まさか来年の誕生日を迎えられないとは本人は勿論この時点では考えられない事で した。*
1月7日 (火) 晴れ
朝胸焼けがして早く目が覚めてしまい寝不足気味だ。ついうっかりしてオメプラゾンを飲まないで寝てしまったのだ。やはり薬に頼っていなければダメなのだろう。薬の数が1つでも減るようなら良いのだが、思うようにはいかないものだ。夜Tさんより電話があった。元気そうな声ではあったが病状は進んでもいないが良くもなっていないとの事。進行していなければ良い部類なのだろう。皆苦労しているようであった。
1月8日 (水) 晴れ
T先輩の見舞いに行く。暫く会っていなかったのでビックリするほど痩せていた。皆が術後の俺を見た時もこの様にビックリして見ていたのだろうなあ。手術待ちの為本人は大分参っていた。やはり精神的な面が大きい部位だ。思い悩む事により余計に悪くなってしまう。俺もそうだったから今のT先輩の気持ちが良く分かる。ゆったり気を落ち着けて過ごせれば良いのだがそうはいかないものだ。俺も一人の時はしょっちゅう涙を流していたものだ。思ったような慰めの言葉がかけられず帰宅する。
1月9日 (木) 晴れ
Tさん夫婦より電話で奥さんが10月に胃の摘出手術をした事を知る。俺と同じ癌だったらしい。飲み薬の抗癌剤を飲んでいるとの事だった。T先輩といいTさんといい俺の周りの人二人が癌だったとはちょっとショックだった。ただ、Tさんの奥さんの声が今までと変わる事無く元気だった事が救いだった。
1月12日 (日) 晴れ
午後兄夫婦が孫を連れて来訪。孫に接するのにはらはらドキドキのところもあるようだが連れて歩く事が楽しみの様子であった。幼子が家にいるだけで明るい笑い声が耐えない。久々に声を出して笑った気がした。
1月15日 (水) 晴れ
I大PTリハビリ。運動不足の為マッサージ中心にしてもらう。体重も2キロくらい減っているので筋力も落ちているだろう。
もう少し食べて体重も増やさないといけない。リハビリ入院が24日に決定あと9日である。T医大消化器外科外来。
血圧も64くらいしかなくちょっと心配。白血球も5000以下。夕べちょっと寝不足ではあったがそれだけでは無いのだろう。抗癌剤のせいかも知れないが疲労感が残るのが気になっている。一応抗癌薬は止めて様子を見ることになっているが・・・。入院も決まったのでもう少し食べられないと困る。
*体重が少し減って来ている為、入院中の食事がどれくらい取れるかが一番の不安でした。しかも抗癌剤を中止してのリハビリ入院でしたので癌の進行状態を心配しての入院となりました。*
1月18日 (土) 晴れ
16日から体のだるさが続いている。今日も体調が良くない。食欲も無い。妻が心配していろいろ言ってくれるのは分かるし有りがたいのだがどれもこれもいろいろな問題が有るものばかりなのだから、そしてそれをやってもらうにもいろいろあるだろうし少し静かに見守っていて欲しい。
1月19日 (日) 曇り
T先輩も手術日が決まった。胃を全摘出で腸は開けて見てからでないと分からないという事だった。ショックだった。見舞いに行けない為手紙を書いた。夜心配してくれている友人に入院日をメールで知らせる。
1月22日 (水) 晴れ
T先輩より電話が入る。明後日手術の為気分的に落ち込んでいて泣かれてしまう。自分でも通って来た道であるだけに気持ちが分かり辛い。手術に関しては執刀医に頑張ってもらい、本人には気持ちだけしっかり持って頑張ってもらうほか無い。
「前向きに考えないと頑張れないから!」と自分に言い聞かせる言葉をT先輩に言っていた。
1月23日 (木) 晴れ
妻が明日の入院の為の用意をしている。またこれから3ヶ月の病院往復をさせるのかと思うと辛い。自分で自分の事くらい出来るようにならなければと思うのだが出来ないでいる自分が情けない。
1月24日 (金) 晴れ
6回目の入院。手続き、心電図、レントゲンのあと即日外泊。考えられないような日程である。帰宅後naoさんにメールするとしっかり笑われる。夜、T先輩の手術が無事終了したとの電話があった。早く良くなって皆で福島へ行かねばなるまい。
*この病院への入院も3回目であり、前回も週末ごとに外泊していた事を主治医も認めていた為すんなり外泊許可が頂けました。*
1月25日 (土) 晴れ
朝Hちゃんより電話が入りT先輩の術後の報告を受ける。ダメかもしれないという気持ちでいた為、周りも「良くなる」という
心構えで接しないと本人も頑張れないからと言って励ました。俺なんか絶望の淵から妻に引っ張られて生きて来たような気がする。こうなった時の女の強さを改めて知る。逆に俺だったら乗り越えられないだろう。妻に感謝である。
1月26日 (日) 晴れ
午後病院へ戻り入浴。日曜日で外泊している人が多く院内は静かそのものだ。明日より本格的始動である。O先生より神経内科の薬は細胞の増殖を促すものだが、抗癌剤は逆の作用が有り末梢神経に麻痺がでる事もあると言われる。今までこの病院にはいなかった入院患者である。言われてみると難しい事になっているんだなと思う。
しかし、折角入院できたのだから頑張らねばならない。
1月27日 (月) 雨
PTのS先生、測定と評価だけであった。夕方Mさんが障害児の書いた絵の入ったカレンダーを持って顔を見せてくれた。味わいのある作品である為世に出してあげたいのだがいろいろな制限があるらしい。俺に何かできる事があったら是非協力してあげたい。今日は大したこともしていないのに膝の上の筋肉が痛い。
1月28日 (火) 晴れ
久しぶりの暖かい朝であった。PTは身体を柔らかくする事から始まる。歩行練習は2周行ったがきつかった。午後筋電図の検査。モニターで見ていても何が何だか分からない。先生は神経の伝導は良くなっているからあとは筋力をつけるように言われる。OTのO先生による筋力の評価。力を入れても先生の太い腕の前では非力が余計非力に感じ空しかった。それが現実なのだから仕方ないか。・・。
でも筋力アップの為には力強い男の先生の方が良いのかもしれない。いろいろな小手先の技術より体力で面倒見てもらった方が筋力が付きそうだ。とにかく担当の先生を頼りに頑張るほか無い。主治医のO先生からは前回同様くれぐれも運動し過ぎ無い様にとの言葉を頂戴してしまう。適当も大事な事であり心掛けなければいけない。
1月29日 (水) 晴れ
今日より本格的なリハビリが始まる。O先生の筋トレはきつかった。PTは3周の歩行をする。2時過ぎに妻が来ておやつを食べ風呂に入れてもらう。又週3〜4回の病院往復が始まる。申し訳ない気持ちになる。
しかし今の俺にはリハビリを頑張る事しか出来ない。後を見ていては前進出来ないのだから前を見て、気持ちも前向きに持って頑張るほか無い。今週も残り2日頑張ろう!!!
1月30日 (木) 晴れ
天気は良いのだが風の強い寒い日であった。週末は雪が降るような予報である。こんなに寒ければ外泊せず病院内の方が良いかもしれない。PT、OT共に午後からだった為少し疲れた。午後ずっと車椅子に乗っていた為就寝時に足が浮腫んでいた。
1月31日 (金) 晴れ
昨日に続いて午後からのPT、OTとなってしまった。OTによる腕、指の動きの評価。平均の人の70%の動きであるらしい。
夕方外泊。のらくろ会のY君の父の通夜から帰宅した妻に「4年続きのプレゼントの無い誕生日でゴメン」と誤る。
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