第1章
┌序章
├告知
├治療
├退院
├自宅療養
├再入院
├闘い
├会話
├恭平
├最高だ!!
├確実なこと
└1年
第2章=
┌緩和ケア1
├緩和ケア2現在地
├緩和ケア3
└最終章
第3章
┌闘いが終わって1
├闘いが終わって2
└闘いが終わって3
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11月29日。嘔吐したらしい。私がホスピスへ着いた時には片付けてあり父は眠っていた。「今度嘔吐したときには覚悟を決めて下さい」と言われていたので気が気ではない。看護士さんに詳しい事を色々聞いた。どうして吐いたのか、嘔吐物の中には血が混じっていたか、量はどうか等、父の今の様子より、そういった事ばかりが気になる。血は混じっていたが量はそんなに多くなく、大量の出血があったわけではないと言う事で、もう一度血液検査をして数値が下がっているなら早急に輸血を考えるとの事だった。少し安心した。しかし、嘔吐した後に着替えをしてもらっている間に父は看護士さんに「もうダメだ」とこぼしたと言う。ドキッとした。私は何をしているのだろう?父は今体力的にも落ち込んでいる。それ以上に精神的に追い込まれている。なのに、私はそんな父の今の事より血液検査の結果や、嘔吐した量、血が混じっていたのかどうか、これから深刻な容態になるのか、そんな事ばかり考えていた。それでいいはずは無い。父を励まし弱っている父を助ける事をしなくては。お水が欲しいと言えば手元に持って行き、弱音を吐くなら父の手を握り、そして何より父の側にいてあげる事が今の私には必要な事なのに。我に返ったという気がした。そして汚したパジャマもシーツも看護士さんが洗濯機で洗っておいてくれた事にも気がついた。お礼を言わなくては。
乾燥機から出した下着は赤黒く染まっていた。洗っても落ちないその色を見て、慌てて父の元へ戻り父の顔を見た。顔色は少し戻っているようで状態としては落ち着いていると感じた。そして私の気持ちも同じように落ち着きを取り戻していった。
夕方、主治医の回診があり「随分顔色が良くなりましたね」と言う言葉に父は笑顔で「そんなにひどかったですか?」と答えた。その会話と父の笑顔を見た時に、大分父の気持ちが変化をしてきたという実感を得た。何があっても返事は首を振るだけ、目を開けて主治医や看護士の顔を見ることもしない、もちろん笑顔だって見せるなんて事は絶対に無かった父が笑顔を見せた。私には父の変化が確実だと感じ嬉しかった。
看護士さんが毎日体を拭いてくれるのだが、その度に父の具合を聞く。しかし父が嫌だと言うと、無理強いする事は無く「じゃ、もう少し様子を見て、調子が良いならその時にしましょうね」と言い、父の気分を尊重してくれる。
痛み止めに座薬を使っているが、体を横に向ける方向も父が向きやすい方向に合わせてくれる。
ガンセンターで一度だけむごいなと感じた事がある。急な痛みが出て座薬を入れるというので私はその間に売店に出かけた。戻ってみると、父はパジャマも下着も下ろしたままの状態で横になっていた。痛みがひどかったために自分でパジャマを上げる力も出なかったのだが、看護士さんは座薬を入れただけでその場をはなれたらしい。あまりに惨めな父の姿に唖然とした。忙しい看護士さんたちの立場も理解できるのだが、やはりこの時の私には怒りがこみ上げてきた。しかし、ホスピスではそういったことは無い。
患者を丁寧に扱ってくれる気がする。ガンセンターが雑に扱うという事では無いが忙しさの余り出来る事も出来ないでいるという事だろう。父の気分や体調を尊重してくれる事は精神的にも楽になるようだ。体がしんどい時に看護士さんや病院の予定に患者があわせるというのは時に負担になる。しかしホスピスでは「今がダメなら、午後からならどう?」というように患者を優先させて対応してくれる。
今日もとても気分が良かったらしく、眠気も無いし楽しく会話をする時間があった。その時に看護士さんが「体を拭きましょうか?」と父の元へ来た。父は口を「へ」の字にして、急に言葉を発しなくなる。ただ首を横に振るだけ。余程嫌だったのだろう。しかし看護士さんが「じゃ、又後にしましょうか?」と父の意見を伺うと、気分は直って「そうする。今は嫌なんだ」と言い「ありがとう」と付け加えた。今までと違い、全てを拒否していた父は、看護士さんに我がままを言えるようになったのだろう。
毎晩、私がホスピスから帰るときには「痛みが出た」等と言い出す事が多い。一人ホスピスで過ごす夜は寂しさと不安で一杯になるのだと思う。しかしホスピスへ来てから初めて私がいる間に眠りについた。この日、「お腹が空いてきたから、何か食べ物を買ってきて欲しい」と言い茶碗蒸しとゼリーを口にした。ここの所一口、二口は食べ物を口にしていたが自分から空腹を訴えたのは何時が最期か思い出せないほどだった。その後テレビを見て一緒に笑い和やかな時間が過ぎていった。夜10時を過ぎたら「もう眠る」と言うので「じゃ、邪魔になるから帰るね」と言うと「そうだな、もう帰ったほうがいいぞ」と答え布団をかぶる。帰り支度をする前に父は眠りについていた。驚いたが、とても嬉しい驚きで父の精神状態が安定している証拠なのかもしれない。
少し喜ぶと違う苦労が出てくる。これは癌という病気だからだろうか? 12月5日頃から幻覚症状と思われる言動をするようになった。痛み止めを塩酸モルヒネ皮下注射に変えたのだがそのためだろうか? 父が眠る姿を見てとても悲しくなった。毅然として律儀で筋肉質の父はやせ細りボーっと空を見つめている。
私は何を期待しているのか? 父に奇跡が起きて癌が治ることなのか? 一日でも長く生きてくれることなのか? 父が今までどおりの父のようであることなのか? そうでは無いような気がしてきた。何気ない会話をし、何気ない笑顔を見てる事なのかもしれない。そんな時間を持つために今日は穏やかだろうか? 痛みが無いだろうか?そう期待をしながらホスピスへ足を運んでいるのだろう。たとえ寝たきりでもやせ細っていても、穏やかな時間を過ごしたい。父には老後の生活というものが病気との闘いの時間になってしまった。仕事のストレスから開放され、老後の生活を送る代わりに病気との闘いになってしまった。健康ではいられないが少しでも穏やかで温かい時間を過ごして欲しい。
幻覚症状のことを主治医に相談したが、修正可能な状態だと言う事で薬の量を減らし様子を見ることにした。幻覚症状は落ち着いてきて私も安心をし始めた矢先に、父は痛みを訴えた。痛み止めは効かないしどうしたのだろうと思っていると、しゃっくりをしている。しゃっくりの後痛みが出るようで顔をしかめ苦しそうにする。主治医は部屋に来てくれてしゃっくりを止める効果のあるお薬を注射してくれた。30分ほど様子を見ていると、痛みは治まった様子でウトウトと眠り始めた。こうして素早く父の症状に対応してくれるというのは、嬉しい事だし、なにより父の苦痛が早く取り除けるというのは一番大切で必要なことだと思った。
12月15日。ホスピスへ着くと父は看護士さんに背中をさすってもらっていた。私も一緒に父をさすり痛みがとれるまで続けた。
私は父が発病をして背中をさするようになっていて、調子が良い日や痛みが無いときなどは父はしなくていいと言うが、それ以外はずっと続けてた事だった。何時が最期のお風呂だったのだろう? 父にだっこをされたのは何時だったのだろう? もちろん記憶に無いし、父の体を擦るなんて事は発病するまでした事も無かった。しかし、私の父はこの背中で私を育ててきた。この腕で仕事をしてきた。この人のこの全ては父を擦る事で自分の父であると実感できる。いつも寡黙で厳格でしかし子供達の我がままを出来るだけ優しい気持ちで包んできた。親孝行をしなければと思う前に父は病に倒れた。私が若い頃にはこんな人は父親なんかじゃない、と感じた事も何度かある。我がままで贅沢だと、父にも言われてきた。しかし目の前に寝ている父はまだ親孝行もしてもらっていない。でも今なら父に親孝行を出来る。もうだっこをしてもらうことは出来ないけれど、一緒にお風呂に入ることも出来ないけれど、今は私の父として目の前にいてくれる。ならば、出来るだけ父をさすっていよう、そういつも思っている。
12月17日。この日はホスピスでクリスマス・パーティがあった。母がホスピスへ行き私は用を済ます必要があり行けなかった。母が帰宅すると父が号泣をしたと言う。泣きながら「悔しい。絶対に治す。このままなんて」という言葉を何度も繰り返したという。胸が詰まった。12月18日、私が行くと父は笑って外を指差す。私にいつも何かを頂戴とせがむ野良猫がいて、その猫が外にいるという。見たときにはいなかったがそんな父の笑顔を見て、少し安心した。しかしおやつの時間になりカキ氷を食べていたので看護士さんと昨日の出来事を詳しく聞き、どのような対応をすべきか相談をしていた。私が来ると父は明るくなり、元気になるし、信頼を置いているから一緒にいるだけで良いですよと言ってくれた。そして部屋に看護士さんと一緒に行く途中、ガチャン・ガチャン音がする。何かと思うと父がテーブルを叩いてものすごい勢いで怒っていた。看護士さんも私も驚いてなだめると「情けない。読んでも誰も来ない」と号泣する。余程精神状態が悪いのだろう。怒って泣く姿はとても力があり、寝たきりでいる父とは思えないほどの勢いだった。その為か痛みが出始め、余計に悲しくなったらしい。看護士さんと一緒に体中をさすり、なだめ、励ましなんとか落ち着いた。するとその後はベッドを起こしテレビを見たり、少し話をしたりと人が変わったようになった。
夕方先生から説明があった。「肝機能が弱ってきているし、アンモニアの数値が少し上がっている。こういう場合は精神状態が不安定になりやすい。全体的には病状が一歩進んだという事になる」ということだった。年は越せないかもしれないと言われていたが、血液検査の結果が安定している状態が続いていたから、年を越す事は可能だけれど、予断は許さないといも言われた。
不思議な事に嘔吐は全くしていないし、下血も無い。発熱も無い。黄疸も腹水も無い。徐々に体力が弱ってきているという印象を受けるが重要な問題は無いのが私の唯一の望みであったのに、ショックを受けた。しかし先生にはお礼を言った。ここまで父が安定していて父と語らう時間をもらえたのだから。。。。。
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