恭平は妻、ジュディー、娘、さくらと家庭を持ち、甘えん坊のやんちゃ坊主がいつの間にか貫禄をつけてた。一応一家の主人としての認識があるのだろうか? 散歩に出かけた時にこんなことがあった。
川沿いにある芝生の生えた広い公園のようになっているところへ3匹を連れて行った。この頃のさくらは目に付くものに集中してしまい、団体行動を取れるほど大人ではなかった。リードを放していたのだが、振り向くとさくらは何かに夢中になっていて、私たちのことに注意を全く向けていなかった。そんなさくらを見ていたらちょっといたずらをしたくなった。川の上にかかっている橋の柱に、恭平とジュディーと私は隠れたのだ。さくらはどういう行動をとるのだろう?さくらからが気がつくと誰もいない状態だった。すると慌てたさくらは私たちが来た方向へ走り出し、私たちを探し始めた。そしていないとなると又反対の方向へ走り探している。じっと行動を見ていると、いきなり恭平が走り出した。なんだ?と様子を見ていると、恭平はさくらの元に走り、さくらが恭平に近づくとさくらの先に立ちこちらの方向へ走り出した。でもさくらは慌てていてそれどころではなくて恭平にはついて行かず、立ち止まったまま途方にくれている。すると又さくらの元に走り、こちらに来いとでも合図している様子。やっとさくらが気がつき恭平の後ろを走り出したら、恭平はさくらを時々振り返り、ちゃんとついて来ているのかを確認しながらついに私とジュディーのところまでさくらを連れてきた。そして、私の目を見て、尻尾をふっている。それも2匹とも。この日からさくらは置き去りにされそうな程に離れる事が無くなった。

ジュディーは私の母が嫌いだ。母もジュディーが嫌いだ。なつかないからと言うのが理由らしい。さくらは2匹の間で育ったせいだろうか?何をしたら怒られて、何をしたら誉められるかを知っている。しかし、時々羽目を外し、私や母に叱られる。ある日さくらは母にひどく叱られた。さくらが怯えるほどの大声で「さくら!!!!」と怒鳴ったのだ。するとジュディーが母に向かって吠え始めた。さくらの前に立ち、母に向かって吠えている。ジュディーは母親と言う認識を持っているのだろうか?ちなみにジュディーが叱られても、さくらはジュディーをかばう事は無い。
そして団体行動をとるというのは犬にとっては嬉しい事らしいが、さくらもその認識は強くなり、3匹は仲間だと誰が見ても判断がつくほどになっている。ある日、ジュディーが珍しく私に叱られた。すると、3匹が私の前に来て、全員で反省をしている。今でも1匹を叱ると必ず3匹が反省のポーズを取る。しかし相変わらず母が叱ると、恭平は無視、ジュディーは母に反抗し、さくらはとぼける。

3匹もいるとしつけが大変だと言う方もいるが、これが以外に楽だと言うことに気がついた。ジュディーの時は、恭平をジュディーが見習うために以外にしつけが楽で、さくらの時には、恭平とジュディーを見習うためにもっと楽であった。お座りとか、お手なども殆ど教えた記憶が無くて、両親の行動を見て覚えた。さくらは生活の習慣等もどんどん覚えて、しつけに手間どう事も無かったためか、恭平とジュディーという両親よりも可愛がられ、愛嬌も一番あるし、両親の愛情と、私たち家族の愛情を受けているためか性格もとても純粋だ。しかし、欠点は遠慮を知らないということだ。普通は生まれてまだ赤ちゃんのうちに親兄弟と離れて新しい家族の下へ行き、親兄弟と離れる寂しさ、新しい家族となじむまでの孤独を味わう。しかし、さくらはそれを知らないので、可愛がってもらう事や、愛情をかけてもらう事が普通のこととしか思っていない。恭平やジュディーは自分以外が可愛がられたりすると、いじけた表情を見せて自分が可愛がってもらうまで待っているが、さくらはそれは全く無い。誰かを可愛がると、「私も!!!!」と何処からとも無く飛んできて、恭平やジュディーを押しのけて愛嬌を振る。それが人間にとってはとても愛嬌があるととるだが、恭平とジュディーにはたまらない。さくらの行動には押されっぱなしとなってしまう。しかしさくらはそれが迷惑な行動だとは認識していない。この辺り、私が恭平やジュディーに気を使う事が必要だろう。
それ以外は3匹は仲がよく、私たちの家族の一員として楽しい毎日を過ごしている。
息抜きに泣ける話を少々
=注意=泣けるというのは、あくまで私が泣けるというものである
泣ける話その1
愛犬たちの散歩には、リードを放して散歩が出来る公園まで車で行く事が多い。3匹は走る事が大好きだし楽しそうに走り回る愛犬たちを見るのが私の楽しみでもあった。ある日の散歩の帰り道、私は事もあろうか交通事故をしてしまった。3週間の絶対安静を言い渡され、運が悪いと半身不随の可能性があると両親は言われたらしい。私はそこまで重症とは思っていなかった。しかし、グアムで恭平の面倒を見てくれた私の親友は「車椅子で私を引っ張って、その上に犬を3匹散歩させる事になるのか」と思ったというから、余程重症だったのだろう。しかし、私は入院中も「犬、犬、犬」で壁には3匹の写真を貼りまくり、自宅で愛犬たちを写真に写して病院に持ってきてもらい元気かどうかを確認していた。
徐々に回復し車椅子で外に出ることが出来るようになった。もちろん最初のお願いは「恭平とジュディーとさくらに会いたい」だった。病院に連れてきてもらっ時、いつも私の横の助手席に座っている恭平はバック・シートで丸くなっている。とっさに、私がいなくなった恭平は主人を失い立場がジュディーとさくらより弱くなったと感じた。力が無く、人生をあきらめたおっさんのように丸くなっている。車の窓を叩くと3匹が私を見つけた。しかし恭平は固まっている。瞬きもしない。もう一度叩いたが、やはり固まっている。「恭平!!!!」と呼んだ。少しシッポが動いた。パタッ。しかし瞬きはしない。もう一度「恭平、私よ!」と言うと、パタッ、パタッとシッポをシッポを疑いながら振っている。たまりかねてドアを開けると、今までに無いほどの勢いで尻尾を振り、キュンキュンを通り越して、叫んでいる。そして私のひざを抱え込み、頭を私にこすりつけ匂いを嗅いでいる。私は恭平に「もう帰ってこないと思ったんだよね?でもここにいるから。もう少ししたら帰れるからそれまで我慢して」と言った。しかし恭平は何時までも何時までも私から離れることはしよとしない。きっと恭平は私に捨てられたと思ったに違いない。一日も早く退院して恭平の下へ帰ろう!!!!!!その時ジュディーとさくらは? 「早く散歩へ行こうよ!!!」と私より散歩が待ち遠しいらしい。。。。。泣ける。
そしてこの入院が、自分の予想に反して2ヶ月以上になったのには泣くしかなかった。。。。。
子供が生まれて、その子たちが新しい家族の下へ旅立つのを見るのはとても嬉しいことだった。特にさくらを見ていると、生命の神秘すら感じる。ジュディーのお腹に新しい生命として誕生し、生まれてきた後は一つの命を持つ。こんな素晴らしく神秘的なことはないと、大げさながら感じてしまった。そのためかもう一度だけ赤ちゃんを産んでもらって、どうしても犬を飼いたいと思っている家族の下に健康な子を飼ってもらえたらとも思った。そう、シンディーの時のように幼くして伝染病の心配も無く、親兄弟の愛情の中ですくすく育った子犬を届けたい、そんな感じだ。その願いは届き2回目の出産に成功した。さくらが生まれて1年後の事。今度は5匹。小さな体で5匹も出産と言う大変なことを乗り越えられるのだろうか?獣医さんも「まあ、素晴らしいですね。でもこの子なら安心していいですよ」という言葉をもらった。その言葉どおり、ジュディーは5匹を私がオロオロするのを尻目に難なく出産した。2匹の女の子と3匹の男の子。今回も私はメロメロで寝るときもジュディーと赤ちゃんの横で寝た。それより、興味深かったのは、出産を終えた後、さくらを赤ちゃんと対面させたのだが、今までに見たことの無い程目をクリクリさせ、赤ちゃんがミーミーと泣くとそれに合わせて顔をかしげ、瞬きすらしない程興味を持っている。しかし、ジュディーは恭平を赤ちゃんに近づけることもしないためにさくらも拒否されると思っていた。が。。。。。さくらが何を思ったのか恐る恐るお産箱の中に入って行く。すると、ジュディーは以外にも怒らない。そしてさくらにつられて恭平がお産箱に入ろうとしたら、恐ろしい勢いでジュディーに叱られた。何故だろう?しばらくさくらはお産箱の隅でじっとジュディーが子育てをする姿を見ていた。そのうち、自分も横になりスリスリ赤ちゃんに近づいていく。おっぱいをあげるフリをしているのだ。不思議な事におっぱいの出ないさくらに赤ちゃんが近づいていく。するとさくらは、じっとして自分のお腹に抱き始めた。とうとう赤ちゃんはさくらのおっぱいを探っている。しかし出ないために、ミーミー言う。さくらはその声を聞き「いけないわ」みたいな感じで自分の手で赤ちゃんをだっこし始めた。獣医さんに相談すると、偽妊娠といってよくある事らしく、そのままにしておいても構わないと言われた。
ある時、ジュディーがトイレの為にお産箱を離れた。するとさくらはお産箱をのっとってしまって、さすがのジュディーもえらい勢いでさくらに噛付いた。驚いたさくらは逃げたのだが、それに懲りる事は無い。ミーミー言われるとついついお産箱へ入り、「おっぱいを上げなきゃ」といわんばかりに赤ちゃんをだっこする。そしてとうとうおっぱいは出るようになった。なんとさくらの満足そうな顔か。。。。。自分の下に赤ちゃんがいないと、自分から赤ちゃんを抱っこしに行き、手ですり寄せ、お腹に抱っこをしてご満悦。5匹なので小さな体のジュディーからはどうしても1匹か2匹はあふれてしまう。さくらが子育てを手伝ってちょうどいいぐらいだ。恭平は?もちろんジュディーに立ち入り禁止の命令を下された後、仲間には入れてもらえない。。。。そんな2匹での子育てはとても順調で、とうとうハイハイをし始めた。ジュディーは2回目のお産のためか、堂々としたもので少しぐらい赤ちゃんがミーミー言ってもじっと見守り、不要に手出しをする事は無い。しかし、さくらはどうも赤ちゃんのミーミーに弱いらしい。血相を変えて飛んで行き5匹に以上が無いかをチェックする。たいしたもんだ。この頃からは恭平もやっと子育てに参加。赤ちゃんをなめたり、じゃれついてきたら相手をしたりと、一家全員での子育てが始まった。
赤ちゃんがゲージから出ることが出来るほど成長したときの事。さくらは赤ちゃんはゲージの中にいるから安心だと思っていたらしいのだが、ヨチヨチ歩きの赤ちゃんがゲージから出てしまった。それを見たさくらは、慌てて飛んで行き、何とかゲージの中にもどそうとする。赤ちゃんの首の後ろを加えて移動させるつもりが、さくらには要領が判らず赤ちゃんを頭ごとくわえてゲージに戻そうとした。あかちゃんは溜まったものではない。このまま食べられるとでも思ったのだろう。大泣きしてしまった。慌てたさくらは私のところに飛んできた。なんとかして欲しかったのだろう。やはり母親としては役不足である。しかし、ジュディーはソファに座ってその様子を見守っているだけで慌てる事も無い。さすが、本物のお母さん。「大したことじゃないわよ」と言うことなのだろう。
赤ちゃんが歩き始めて兄弟どうしでじゃれ付くようになった。5匹も赤ちゃんがいると、賑やかだ。観察していると、すでに弱い子、強い子、どっちでもない子、と様々な性格が出始めた。そんな5匹の子供達の遊び相手はもっぱらさくらと恭平で、ジュディーはやはり必要以外はソファの上からじっと様子を見ていて、これは母親の出番だと判断する以外は余計な手出しはしない。まさに母親としての貫禄だ。さくらにしてみたらこの子達は兄弟になり、さくらお姉さんはこの子達のとても良い遊び相手となり、先頭を走るさくら、一生懸命追いかける子犬たち。こうして子犬たちはルールを覚え、愛情を知り、いろいろな事を学習しながら育ていく。私はこの子達がしっかり愛情を知り新しい家族の下へ旅立っていく事を願っている。
生後40日。そろそろ里親を探し始めなくてはならない。ペット・ショップでは生後40日以上の子でも店頭に出すが、獣医さんが言われるには、生後50日までは親兄弟と一緒にいることが望ましいらしい。ルールや愛情を学ぶには大切な時期で、50日が一番適切だと言う事だ。里親も見つかり5匹全員が新しい家族の下へ行った。最初のお産ではさくらが残っていたからなのだろう。とても幸せな気分で見送ったのだが、今回は強烈に寂しさと空しさ、喪失感が私を襲った。もう二度と赤ちゃんは作らない。こんなに寂しい思いをするなんて私にはとても耐えられない。
しかし、事もあろうか、母の友人がどうしても赤ちゃんが欲しいと言って来たらしくもう一度お産させたいと母が言う。その母の友人はペット・ショップではなく一般の家庭で生まれた子供を欲しいという事らしい。もちろん私は完全拒否。しかし、母の友人があきらめなかった。が、こんなに欲しがってくれるのなら必ず可愛がってくれるに違いない。それに次のお産まで1年近くあるがそれを待ってでも欲しいと言う。健康で、愛情を受けて育った子を新しい家族に届けたいという思いはもちろん今でも持っている。その私の願いと、母の友人の願いは同じである。折れたのは私。
3回目のお産。全部男の子。見事に男の子。今までに12匹の赤ちゃんをジュディーは出産したが、色も全部恭平と同じレッド。ミニチュアにしては大柄なのも恭平と同じである。
子育ても、前回と同じでジュディーはさくらに手伝ってもらい、2匹での授乳。恭平は蚊帳の外。歩くようになると恭平も子育てに参加。ジュディーは監視役。さくらはお姉さんとして第二の母として育児に遊びに入念に子育てに参加。そんな状況を見た母の友人は愛情を沢山受けて育った子だとものすごく気に入ってくれた。
しかし、さよならを言うときにはとてつもない寂しさが襲う。ここで私はジュディーの年齢と出産回数を考えてこれが最期の出産だと母に宣言し、自分にも誓った。
ジュディーは3回のお産で合計12匹の子供を産んだ。この中の11匹はそれぞれの家庭へ行き、それぞれの人生を歩んでいった。運命と言うものがあるのなら、12の違う運命があり、その運命も様々だと思う。とても広いお庭のある家に引き取られた子は、庭を走り回り、飼い主さんが庭の整理をしたし、欲しいと言っていた子供たちよりお母さんの方が、一緒に布団で寝るほど可愛がっってもらったり、一人っ子の弟としてとても重要なポジションについたり、毎年年賀状に写真を入れて送ってくれるのだが、その年賀状に写る子はとても幸せそうな顔をしている。飼い主にどう扱われるのか、どういった生活を送るのか、どんな家庭環境で生活するのか、それは一つの生命ごとに一つある。思えばその生命を作った事に対しての責任のようなものも感じた。ただ可愛いからという理由や、赤ちゃんを売ったお金が手元に残るからという理由で、新しい生命を作るべきではないし、又、作るからにはその重みを感じるべきだとも思う。私がシンディーを購入したペット・ショップでも「メスはご飯代を稼ぎますから、安いもんです」と、当時高額であったダックスフンドの事をそう言った。しかし、本当はそうした考え方で無用に新しい生命を誕生させるのはとても悲しいことかもしれない。これからはジュディーが出産する事はない。欲しいといってくださる方もいるが、ジュディーの母体を考えるとこれからは出産をするより、ご苦労様と声をかけ、旦那さんと、娘との生活を楽しんで欲しいと思う。現在、ジュディーは母としての強さを忘れ、以前のボーと少しヌケたような表情と、のんびり歩くおっとりやさんに戻った。さくらも、ジュディーの娘として甘えっ子に戻り、本当によく育てたな、と不思議にすらなる。恭平は?何故か恭平だけはジュディーの尻に敷かれたままである。



        
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